中国史上最高の名君 李世民について書きたいと想います。
唐の太宗 李世民が治めた時代、この時代を貞観の治と言われている
のである。中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ後世、理想
の時代とされた。房玄齢・杜如誨の2人を任用し政治に取り組み、魏徴
を登用して自らに対しての諫言を行わせ、常に自らを律するように勤
めた。賦役や刑罰の軽減、地方の統治を三省六部制の整備を行い、そ
して、軍事面においても唐建国前に武将として優れた才能を発揮し、
隋末唐初に割拠した群雄を平定するのに中心的な役割を果たした太宗
である。そんな太宗が兵の訓練を自ら視察し、成績優秀者には褒賞を
与えたため唐軍の軍事力は強力になった。これらの施策により隋王朝
末からの長い戦乱の傷跡も徐々に回復し、唐の国勢は急速に高まりま
した。房玄齢・杜如誨・魏徴という名臣が国政を支えたのである。
そのやり取りが『貞観政要』として後世に伝わっている。
太宗が「王朝を作るのと、それを守るのとどちらが難しいか」と問わ
れたときの問答が有名である。房玄齢はこれに対して、「天下が乱れ
群雄が競い合う。それを攻め破って降し、戦いに勝たねばならない。
それ故に王朝の草創が難しい」と答え、魏徴は守る方が難しいと答え
た逸話が有名である。この言葉は今の社会でも通じる問答ではないだ
ろうか?「会社を創るのと、それを守るのとどちらが難しいか?」
その時、太宗はどう答えただろうか?確か、守成つまり守る方が難し
いと答えたと想う。その時は、これから組織を守っていかなければな
らないという心境だったのかもしれない。現実には、どちらも難しい
事であると想う。今の自分に立場を置き換えると王朝の草創の方が難
しい。つまり、「会社を創る事の方が難しい」と答えます。
日本でも、北条政子、徳川家康や明治天皇に影響を与えていると言わ
れている。文化的にもいろいろな時代の正史を編纂させたり、
『西遊記』で有名な玄奘三蔵がインドより仏経典を持ち帰り、その支
援をしたのである。また、「泥棒がいなくなり、家の戸締りをしなく
てもよく、旅先で食料をもらえる為、旅人は食料を持たずに旅が出来
た。」と言われている。こんな時代があったのである。
こんな政治が存在したのである。人望もあったようで有能な人物が集
まったようである。
彼の闇の面としては、玄武門の変といわれる出来事であろう。
兄の李建成や弟の元吉をクーデターで殺害して皇帝に即位したのであ
る。また高句麗への2度の遠征に失敗している。
晩年は少し、おかしくなったようで、後継者の育成も失敗してしまっ
たのである。聖人のようであるが人間らしいと言えば人間らしい一面
も持っていたのかもしれない。そのせいで、則天武后が出てくる要因
を創ってしまったのである。洒落にならなかっただろう。
私も、もう一度『貞観政要』を読んで学んでみたいと想います。
























































