中国の今を生きる人々は呂布の事をどう想っているのだろう。
十年くらい前に中国の人に項羽は『中国史上で一番強い将軍』である
と聞いた事がある。
『関羽は中国語でどう発音するのか?』
『諸葛亮孔明はどう想われているのか?』
なんて事を聞いた事がある。どんな解答を得たか忘れたが、
四千年の歴史がある中国の中でも、
呂布奉先はやはり特殊な存在であると想う。
呂布には、何故か中国人離れした感じがあるように想う。
何よりも自分の本能のままに生きた武将であったのだ。
そんな呂布が仁の人である劉備を頼る事になる。
劉備は呂布を快くかどうかは疑問だが、迎え入れるのである。
関羽や張飛などは恐らく反対したであろう。
それにも関わらず、とにかく劉備は呂布を迎え入れ、
義兄弟の契りを結ぶのである。
この時点では、劉備は四兄弟となるのだろうか。
だが呂布のある意味、本領を発揮する機会を与えた事にもなった。
得意の『裏切り』である。
快く自分を迎え入れてくれ、義兄弟でもある劉備を裏切るのである。
曹操の策に乗ったのか袁術の策に乗ったのか、
いろんな説があるのだが、
劉備から徐州を奪い、自分のものにしてしまう。
行き場を無くしてしまった劉備は仕方なく呂布に従う羽目になり、
小さな都市を与えられ、その場に駐屯する事になる。
関羽や張飛は腸の煮えくり返る想いであったに違いない。
そんな劉備が袁術に攻められた時、劉備は呂布に救援を要請する。
呂布は、その要請を受け入れ出陣すると
両陣営を和解させようとしたのである。
『三国志』の中での呂布の見せ場の一つである。
『義弟が困っているので助けに来た。私は戦を好まない。
和解を喜ぶ性格である。』と
よくもまぁ、抜け抜けと言ったものである。
そして、戟(げき)を陣営の門に立て、
『私が戟を射るのを見よ。一発で当たれば兵士を連れて帰れ。
当たらなければ、このまま戦え。』と叫び、矢を放った。
その矢は見事、戟に命中した。
それを見た袁術軍は度肝を抜かれ、
戦意を失い引き上げていったのだろう。
その後、袁術に縁談を呂布に持ちかけるが、この話は破談に終わる。
そして、袁術が呂布を攻めたり、
その袁術と呂布が結び劉備を攻めたりと
『昨日の敵は今日の友』状態が続く中で、曹操が動く。
曹操、劉備連合軍と呂布、袁術連合軍の戦いが始まる。
そして劉備が破れ、劉備の妻子が捕虜になる始末である。
そこで、曹操は本格的に大軍を動かし、徐州に攻め込んだ。
武勇のみに優れ知略も人望もない呂布は次第に窮地に追い込まれる。
そして部下に裏切られ、呂布は陳宮や高順と共に捕縛され
曹操の元に差し出される。
余談であるが、この時、彼らと一緒に捕縛された武将の中に
呂布の部下であった名将・張遼がいた。
後に曹操の部下となり大活躍するのである。
呂布は命乞いをするが、
劉備の『丁原や董卓の例をお忘れか。また裏切られますぞ。』
と言うと、曹操も処刑を決意するのである。
呂布は劉備に対して、『この大耳野郎!!』と口汚く罵り、
首を斬り落とされたのである。
自分の二人の養父を殺し、劉備を裏切り、そして自分の武勇のみで
乱世を生き抜いた呂布奉先。
最後は自らの部下に裏切られ、その生涯を終えたのである。
三国志前半の英雄の一人である呂布の存在は『三国志演義』を読む者
にも強き影響を与えたのは間違いないだろう。
『三国志』や『三国志演義』の呂布は流れ星の如く、
自分の本能のままにその生涯を駆け抜けたのである。
そんな生き方も何故か魅力的に感じるのである。
























































