四国を統一した長宗我部元親は羽柴秀吉に屈せず、
臣従するつもりもなかった。
元親には反骨精神が強かったのだろう。
信長にも屈せず、秀吉にも屈せず
誰かの支配下に入る事を是としなかったのであろう。
多少は傲慢さがあったのだろうか。
あるいは戦って勝てる自信があったのだろうか。
四国を統一していく過程で元親の性格も
変わって行ったのかもしれない。
しかし、それは四国という島の中での考え方であったのだろう。
当然、信長も秀吉も元親に対して怒りを向けた。
二人とも討伐軍を元親に向ける。
信長の時は『本能寺の変』に救われたが、
秀吉の時はそうはいかなかった。
四国を統一したといっても、
その地の覇者としていられる時間は元親には、
わずかしか与えられなかった。
天正十三年(一五八五)、秀吉の弟である羽柴秀長を総大将にした
十万の軍勢が四国に攻め込んできた。
その軍勢の中には宇喜多秀家や小早川隆景など
錚々(そうそう)たる武将達もいた。
元親には充分に迎撃する時間も与えられなかった。
予想以上に羽柴軍は強かった。
阿波と伊予の諸城は次々に落とされ、
長宗我部軍も次々と撃破された。
自慢の『一領具足』達も、全く歯が立たなかった。
先ず羽柴軍の装備に驚いたという。
立派で頑丈そうな武具に鉄砲なども大量に所持していた。
そして、何よりも秀吉の軍勢は『兵農分離』がされており、
兵士そのものがプロであった。
『一領具足』とは根本的に違っていたのである。
この時、元親は己の自信が
過信であった事を想い知らされたのであった。
『例え、充分に迎撃の準備が整っていても勝てない』と
心から想った事だろう。
そして秀吉の軍勢、つまり上方の物資の豊富な軍勢とは
所詮、違っていたのである。
自分達がいかに時代遅れであったかも想い知ったのである。
結局、長宗我部軍は成すすべも無く降伏した。
父の代から精魂込めて必死に手に入れた
四国の領土を失う事になった。
元親は土佐一国を安堵されて、秀吉に臣従した。
コウモリ達の住む島は
天下の流れに組み込まれることになったのである。
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