2008年06月30日

マムシと呼ばれても 斉藤道三(第三回)




長井長弘こと斎藤道三は土岐頼芸を美濃国守護の座に付かせ、

絶大な信頼を得たのである。

そして当時、国政を仕切っていた長井長弘。

かつての恩人であるが、この恩人が邪魔になったのだろう。

今や美濃国守護土岐頼芸をバックに付けた道三は上意により、

長井長弘に不忠の罪をきせて殺害したのであった。

そして、道三はこの長井家を乗っ取り長井新九郎を名乗りながら

美濃の国政を仕切るようになった。

しかし、この辺もいろいろな説があるようである。

謎が多いのである。

さらに守護代の斎藤利良が病死すると、

すぐに、その跡目を彼が継ぐのである。

道三は斎藤利政、そして後に斎藤秀龍と名乗った。

ここに長井家と斎藤家という美濃の名門を継いだことで、

彼の美濃における基盤は磐石となった。

斎藤道三の野望はさらに続くのであった。

そして、斎藤氏の居城である稲葉山城を手に入れ、

この城を大改築して難攻不落の要塞にしたのである。

これにより、美濃国内では無視できない存在となっていた。

『無視できない勢力』と言い換えてもいいだろう。

道三の後ろ盾になっていた土岐頼芸は

『後ろ盾』のつもりでいただけで利用されていたのである。

頼芸も流石にそれに気付いた。

しかし、時既に遅かった。

道三は既に次のターゲットとして土岐頼芸を見ていたのであった。

道三は頼芸の城を大軍で急襲して陥落させた。

そして、土岐頼芸を尾張国へ追放するのである。

これにより道三は事実上、美濃国主となり、

ここに『美濃一国』を手に入れたのである。

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posted by よしの at 22:17| 千葉 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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