斎藤道三。
次々に主を殺し、そして追放して主家を乗っ取り
美濃一国を手に入れた。
まさに戦国を象徴する生き様であった。
しかし、このような道三の行動を周囲の武将達は
どう想ったのだろうか。
道三には自分に代々仕える家臣がいなかった。
その点は秀吉と同じであるが、彼のやり方は秀吉とは違い、
周囲を敵に回さずにはいられなかったのだろう。
それが、後の悲劇に繋がるのである。
それ故、人心まで掌握することは出来なかったのかもしれない。
美濃という土地は昔から、多くの土着の勢力が割拠していた。
それ故、守護職がいても支配するのが難しかったのである。
そんな美濃を道三は知略を使い、
この支配の難しい土地を支配し、
その支配を磐石なものとするのである。
まず、叛乱の火種は早めに潰し、国内の治安を安定していった。
その次に手を付けたのが、産業の育成であった。
商人であったという説もあるだけに、
経済を発展させることを考えたのであった。
流石に只者ではない。
経済力が如何に大切であるかという事を熟知していたのであろう。
また、美濃は濃尾平野もあり、交通の要所でもある
潜在的な経済力を持っていたのであった。
そして、道三の力で美濃は
戦国時代でも豊かな強国となったのであった。
だが、道三もこのままでは済まなかった。
道三に追放された土岐頼芸が織田信秀の庇護の元に、
水面下で動いていた。
目指すは『道三の首』であった。
http://ping.blogmura.com/xmlrpc/hcrfyctda59o
























































