2008年07月01日

マムシと呼ばれても 斉藤道三(第四回)




斎藤道三。

次々に主を殺し、そして追放して主家を乗っ取り

美濃一国を手に入れた。

まさに戦国を象徴する生き様であった。

しかし、このような道三の行動を周囲の武将達は

どう想ったのだろうか。

道三には自分に代々仕える家臣がいなかった。

その点は秀吉と同じであるが、彼のやり方は秀吉とは違い、

周囲を敵に回さずにはいられなかったのだろう。

それが、後の悲劇に繋がるのである。

それ故、人心まで掌握することは出来なかったのかもしれない。

美濃という土地は昔から、多くの土着の勢力が割拠していた。

それ故、守護職がいても支配するのが難しかったのである。

そんな美濃を道三は知略を使い、

この支配の難しい土地を支配し、

その支配を磐石なものとするのである。

まず、叛乱の火種は早めに潰し、国内の治安を安定していった。

その次に手を付けたのが、産業の育成であった。

商人であったという説もあるだけに、

経済を発展させることを考えたのであった。

流石に只者ではない。

経済力が如何に大切であるかという事を熟知していたのであろう。

また、美濃は濃尾平野もあり、交通の要所でもある

潜在的な経済力を持っていたのであった。

そして、道三の力で美濃は

戦国時代でも豊かな強国となったのであった。

だが、道三もこのままでは済まなかった。

道三に追放された土岐頼芸が織田信秀の庇護の元に、

水面下で動いていた。

目指すは『道三の首』であった。

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posted by よしの at 20:49| 千葉 | Comment(0) | TrackBack(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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