彼の肖像画を見た時、
『この人は日本人なのか?』と想いました。
現代に生きる私の目にも、普通の人と違う気がする。
佐久間象山
江戸時代は幕末において最高の天才、
超天才などといわれた人である。
彼は
儒学者にして西欧研究の大家
軍学者であり
思想家
詩人でもある。
また、ガラスの製造や地震予知機を開発するなど
発明家でもあった。
まさに『幕末最高の天才』であった。
彼は文化八年(一八一一)信州松代において、
松代藩士・佐久間国善(くによし)の長男として誕生した。
国善は下級武士であったが、
城下では卜伝流剣術道場を開いていた。
その為、象山は幼い頃から剣術に励んだ事だろう。
また幼い頃から利発でもあった。
その利発さは
藩主の真田幸貫(ゆきつら)の目にも留まっていたらしい。
象山は経学と数学を学んだという。
経学とは儒教の教書を学ぶ学問であった。
教書の中には易経、書経、詩経などがある。
これらを一生懸命、学んだのだろう。
象山は元服後、江戸に行った。
そこで、朱子学を学ぶのである。
その時の師匠は佐藤一斎(いっさい)
儒学の第一人者である。
指導者としてのバイブルと言われた『言志四録』の著者であり
西郷隆盛も崇拝した人物である。
最近では、小泉純一郎元首相が
国会の審議中に言志四録について触れた事で知名度が高まった。
そして、同じ門下生に山田方谷(ほうこく)がいた。
後に、この二人を称して『二傑』と呼んだ。
この時、渡辺崋山(かざん)や藤田東湖(とうこ)など
錚々たる人物とも親交を持っている。
また天保十年(一八三九)、私塾『象山書院』を開き
多くの門弟が集まってきた。
象山は儒学を教えていた。
そんな象山は松代藩からも認められ
『松代藩江戸藩邸学問所の頭取』に任命された。
そして天保十三年(一八四二)、
松代藩が幕府より海防掛を命じられる。
藩主である真田幸貫は老中兼海防掛になると
象山に『海外事情の研究』を命じられる。
佐久間象山が西洋の文明に興味を持った
『きっかけ』であったと想われる。
山国の儒学者が西欧に興味を持つのだ。
しかし、この山国育ちの儒学者が
幕末の日本に大きな影響を及ぼすのである。
自信過剰で傲慢と言われた象山は
『他の馬鹿共には、何も判るまい』
などと想いながら西欧の研究をしていたかもしれない。
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幕末の超天才の話面白く読ませていただきます。
余談ですが信州真田家では傑出した人物が数多く出ていますが何か秘密があるのでしょうか?
また遊びに来てくださいね。
>おーたんさん、ありがとうございます。
そのようですね。
『松代三山』などと評された人物が
いますね。
傑出した人物が出たのは、
真田幸貫公の影響だったのではないかと
私は想います。
どんな組織でもそうですが、上に立つ人間 でどんな人材が育つか決まるように想えま す。