徳川家康は天下を獲ってから江戸に幕府を開いた。
そして、江戸城、駿府城、名古屋城と
立て続けに築城していく。
これらの築城により、
徳川家の蓄財はドンドン減少していった。
そこに大久保長安が登場したのである。
長安が徳川家の蓄財を豊かなものに変えたのだ。
大久保長安
彼の存在は大変、大きなものであったのだろう。
彼は、
慶長十八年(一六一三)、
卒中で此の世を去るのである。
享年六十九歳であった。
徳川幕府に大いに貢献した
『天下の総代官』の生涯が終わった。
しかし『長安の死』は大変なものであった。
『長安の死』
長安は家康の六男・松平忠輝の付家老であった。
その為、忠輝の義理の父である男との関わりを疑われる。
伊達政宗である。
長安の死後、飛び交った噂がある。
一、長安は伊達政宗と組んで謀反を起こすはずだった。
二、キリシタン信者と通じていた。
三、純金の棺桶に入れて、弔って欲しいと言った。
横山光輝氏の『伊達政宗』では、
大久保長安が政宗にキリシタンの医者や看護婦を紹介する。
そして、政宗は看護婦に手を付ける場面がある。
伊達政宗も弁解に苦労した事だろう。
腹に一物あるだけに。
そして、松平忠輝の運命も変わるのであった。
彼の死後三年後、
忠輝は改易される。
大久保長安がもう少し長生きしていたら、
簡単には改易されなかったのではないだろうか。
また、大久保長安が『不正蓄財』をしていたという事で
長安の遺産は没収される。
そして、長安の男児七人は処刑される。
彼に関連していた諸大名は改易された。
伊達政宗は巧みにかわしたのだろう。
この一連の疑獄事件は
本多正信、正純親子の策略による
『粛清』だったともいわれている。
長安の面倒を見た
大久保忠隣(ただちか)も、後に失脚している。
これも、本多親子の策によると言われている。
これらの噂は本当だったのだろうか?
真実は判らない。
しかし、彼は江戸幕府を磐石なものにした。
それは真実であろう。
大久保長安以降、
土井利勝 保科正之 松平信綱
水野忠之 松平乗邑(のりさと)
更に田沼意次と
幕府の財政を支えた宰相達が現れる。
大久保長安
彼にもっと謙虚さがあれば、
もっと有名になっていた事だろう。
彼に対する後世の評価も違っていた事だろう。
大久保長安
その名前の『長安』は、
中国王朝の都『長安』にあやかったのかもしれない。
『都』
彼の支えた都『江戸』は『東京』と名を変え、
今も日本の首都である。
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凄い人物だったんですねえ。
知らなかったのが恥ずかしいですよ。
大久保長安、いろんな意味で凄い人ですよね。私も是非、あやかりたいです。