2008年11月20日

聖人の如き人 保科正之(第八回)







保科(ほしな)正之は山形藩二十万石の大身となった。

高遠藩三万石から十七万石の加増となった。

そこで、

正之に直面した問題が家臣の数であった。

保科家二十万石を支えるだけの家臣の数が必要であった。


『雇用問題』


山形では

保科家の前の主である鳥居家を離れた家臣達が

大勢、浪人となって住みついていた。


『我らを召抱えてくれるはずだ』


将軍の弟である

保科正之が藩主である。

淡い期待を持っていた事だろう。


 更に

   『鳥居家の家臣は召抱えられる』

          という噂が立ったという。


『はっきりしなければならない』

正之は山形の宰相として明言するのだ。

一、『高遠以来の家臣に加増する』

二、『雇用はその後である』

三、また、『採用はその者の人格と能力を重視する』

と迅速に手を打ち、混乱を防いだという。


正之は『孝子(こうし)』を好んだ。


  『孝子』

   親孝行な人物のことである。


正之は、見性院はじめ多くの恩人に恵まれた。

しかし、その恩人達は、既に此の世に無く

更に肉親の縁も薄かったようだ。

彼の正室・お菊も

寛永十四年(一六三七)に此の世を去った。

結婚生活は、わずか四年であった。

正之の不幸は続く。

その翌年には、嫡男の幸松丸が此の世を去った。

享年五歳であった。

彼の心境は如何なるものであっただろうか。


『想像に絶する』


そんな正之であったから

領民を想いやる気持ちを持てたのだろう。

 彼は、

  山形の地で様々な事を学び

    様々な事を経験した事だろう。

正之が山形の地で行ったことは

一、『減税』を行う

  ⇒年貢を四割二分から三割九分へと税率を引き下げる。

   『ありがたや』と領民は想った事だろう。

二、『治水』を行う。

  ⇒名君の重要な政(まつりごと)です。

   足軽まで動員。

   また、土井利勝など幕府の重臣にも協力を仰いでいる。

三、『飢饉』に対する備えを行う。

  ⇒酒の製造を管理した。

   米を使用する酒造りの管理など

   米を使用する事業を管理した。


常に慈愛に満ちた精神で藩政を行ったのだろう。


山形は

正之を

名君そして聖人

にする為の試練を与えたように想う。

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posted by よしの at 22:29| 千葉 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
苦労していますね。
うむ。
オイラもがんばろう。
Posted by さんぴん太郎 at 2008年11月21日 16:56
さんぴん太郎さん、ありがとうございます。
私達も頑張りましょう。
Posted by 勝海舟 at 2008年11月21日 21:30
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