2008年11月22日

聖人の如き人 保科正之(第十回)







『島原の乱』が鎮圧されてから四ヵ月後のことでした。

保科(ほしな)正之に試練が訪れます。

彼の指導者としての度量を

試すような試練であったでしょう。

徳川幕府の天領白岩(しらいわ)において


『農民一揆』が起きたのである。


白岩を預かる代官は

正之に援けを求めてきた。

正之は

直ぐに城代家老の保科民部を白岩に向けます。

『一揆の首謀者を山形城へ出頭させるのだ』

正之は民部に命じたのである。

そして、首謀者達が

山形城へ出頭してきたところを

  全員召し捕り

   磔(はりつけ)にして

        処刑してしまった。


天領で処罰するのを憚ったのかもしれない。


私が聖人と想う人間のやることだろうか?


家臣の中にも、

『これは、やり過ぎではないか?』

         と想う者もいたらしい。

しかし、正之の頭の中には

『島原の乱』が

強く残っていたのではないだろうか?

『温厚な対応では事は片付かない』

    『時間を掛けず迅速に動かねば』

          と想ったのではないだろうか。

ましてや、彼は将軍・家光の弟である。

一揆を長引かせ大事には決して出来なかったと私は想う。


中村彰彦氏の『保科正之言行録』には

『国家に報ぜんとして万一事を誤る時は我が身を捨てるのみ』

   という覚悟を持っていたから、

     こういう態度に出たということが記載されている。


国の為に働き

その行動が間違っていたら

『いつでも死ぬつもりだ』

   という考えだったのだろう。


しかし

正之に死なれては困る人物がいた。

誰あろう

兄である将軍・徳川家光であった。

『幕政に参加してほしい』

     そのように想っていた。

そして間もなく

   正之が江戸城に出仕していたのは


           言うまでもないでしょう。


保科正之


山形の宰相から

天下の補佐役として

歴史の舞台に登場します。

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posted by よしの at 21:47| 千葉 | Comment(2) | TrackBack(0) | 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほどここから歴史の表舞台というか
ひのき舞台に出るのですな。
Posted by さんぴん太郎 at 2008年11月23日 00:13
さんぴん太郎さん、ありがとうございます。
保科正之公が幕政で活躍するのは
これからでございます。
Posted by 勝海舟 at 2008年11月24日 19:55
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