高宗と武則天の二人による政治が始まります。
『垂簾政治』
⇒皇帝の玉座の後ろに簾(すだれ)があり
その裏に『誰か』がいて
皇帝に指示を出すというシステムであります。
その『誰か』とは
『武則天』
彼女は普通の皇后ではありませんでした。
その政治センスは高宗を凌駕しておりました。
彼女は『貴族政治』を嫌いました。
それ故に
彼女は人材登用に力を注ぎました。
人材を見極める能力があったようです。
官僚を採用するにしても貴族を斥け
科挙などで見出されたり
能力のある人物を登用しました。
その代表的な人物が
姚崇(ようすう)
と
宋m(そうけい)
であります。
この二人が
後に玄宗(げんそう)の
『開元の治』を支えることになります。
出自を問わず才能のある人物を登用したので
武則天に心服する者も
多くいたと想われます。
身分の高い人間よりも
身分が低く
しかも
才能のある人間を
自分の手足の如く使う事を
彼女は考えていたのではないでしょうか。
しかも
能力のある人物が頑張れば
国の為にもなります。
武則天
本当に只者ではないです。
ただ
同時に自分の一族も重用していきます。
このあたりは
劉邦の妻である呂后と重なります。
また、彼女は外交にも積極的でありました。
新羅の要請を受けて
百済討伐の軍を起こします。
百済は滅亡します。
そして
百済の遺臣達は倭国を頼るのです。
『倭国』
⇒今の日本です。
百済と倭国の連合軍
と
唐と新羅の連合軍
が
激突します。
『白村江の戦い』
この戦いで
百済と倭国を散々に破ります。
更に高句麗を滅ぼします。
これらの一連の動きは
唐北方の安定化を招きました。
恐らく
この頃からではないかと
私は想います。
彼女は
自ら皇帝になろうと・・・
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