2009年02月01日

中国史上唯一の女帝 則天武后(第五回)




高宗と武則天の二人による政治が始まります。

『垂簾政治』

 ⇒皇帝の玉座の後ろに簾(すだれ)があり

その裏に『誰か』がいて

皇帝に指示を出すというシステムであります。

その『誰か』とは


『武則天』


彼女は普通の皇后ではありませんでした。

その政治センスは高宗を凌駕しておりました。




彼女は『貴族政治』を嫌いました。

それ故に

彼女は人材登用に力を注ぎました。

人材を見極める能力があったようです。


官僚を採用するにしても貴族を斥け

科挙などで見出されたり

能力のある人物を登用しました。

その代表的な人物が


姚崇(ようすう)



宋m(そうけい)

であります。


この二人が

後に玄宗(げんそう)の

『開元の治』を支えることになります。


出自を問わず才能のある人物を登用したので

武則天に心服する者も

多くいたと想われます。


身分の高い人間よりも

身分が低く

しかも

才能のある人間を

自分の手足の如く使う事を

彼女は考えていたのではないでしょうか。

しかも

能力のある人物が頑張れば

国の為にもなります。


武則天


本当に只者ではないです。


ただ

同時に自分の一族も重用していきます。

このあたりは

劉邦の妻である呂后と重なります。



また、彼女は外交にも積極的でありました。

新羅の要請を受けて

百済討伐の軍を起こします。




百済は滅亡します。

そして

百済の遺臣達は倭国を頼るのです。

『倭国』

 ⇒今の日本です。


 百済と倭国の連合軍

     と

 唐と新羅の連合軍

     が

       激突します。


『白村江の戦い』


この戦いで

百済と倭国を散々に破ります。


更に高句麗を滅ぼします。


これらの一連の動きは

唐北方の安定化を招きました。


恐らく

この頃からではないかと

私は想います。


彼女は



自ら皇帝になろうと・・・


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posted by よしの at 20:44| 千葉 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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