2009年03月15日

秀吉が天下を任せてみたい漢達(第一回)







太閤・秀吉には『自分以外の天下』についての

逸話が数多く残っています。

或る日

家臣達に『自分の代わりに天下を治める者は誰だ』と尋ねます。

すると家臣達は徳川家康や前田利家の名前を挙げます。

しかし秀吉が挙げた名前は


黒田官兵衛でした。


この話を聞いた官兵衛は直ぐに隠居したといわれています。


『秀吉と官兵衛』


お互いがお互いを知り尽くしていたのでしょう。


秀吉の恐ろしさを一番良く知っていたのが

『黒田官兵衛』だったのでしょう。


『こんな話が出てきたら潮時だ!!』

とでも想ったかもしれません。


それが官兵衛の出処進退に現れているような気がします。


また

官兵衛の恐ろしさを一番良く知っていたのは

『太閤秀吉』だったのでしょう。

秀吉は官兵衛が隠居しても

彼の存在が気になっていたのではないでしょうか。


また他に


秀吉は

『自分以外で天下を治める者がいるとすれば

         黒田官兵衛か小早川隆景であろう』

                    と評価してます。


『黒田官兵衛と小早川隆景』

  ⇒『智の人と賢の人』

私はこの二人をそのように表現したいです。


この二人は仲が良かったといわれています。


小早川隆景が他界した事を知った官兵衛は


『もはや、この国に賢人はいなくなった』

          と嘆いたといわれています。


隆景は戦国の智将・毛利元就の三男でありました。

彼は幼少の頃から

父の繰り出す数々の権謀術数を

目の当たりにしたことでしょう。

隆景自身も

父の権謀術数により小早川家に入ったようなものです。


『そんな父と同じ雰囲気を持った男』


隆景は黒田官兵衛に父を感じたのではないでしょうか。


そんな隆景は

温厚な人格者であり

人からも好かれるタイプであったようです。

それ故に秀吉も絶大な信頼を置き

独立大名に取り立てました。

秀吉は隆景に恩義も感じていました。

『本能寺の変』

毛利との戦いの最中に

信長の悲報を知った

秀吉は毛利方と和議を結びます。

そして中国大返しを実行したのです。

秀吉の軍勢に隆景の兄・吉川元春は追撃を唱えましたが

隆景はこの意見を抑えました。

『和睦をしたばかりで

    誓紙の血が乾かぬうちに追撃するのは不義であり

               信長の死に乗ずるのは不祥である』


これを聞いた秀吉は隆景に感謝したのです。


その隆景は秀吉が天下を取った後

『毛利家に感謝するだろう』と読んだのでしょう。


秀吉は隆景を自分のブレーンにしたかったことでしょう。


しかし隆景は豊臣家ではなく

毛利家の一員でした。


秀吉は

『甥の秀秋を毛利家の養子にしよう』

という思惑を持っていました。

隆景は先手を打って

秀秋を小早川家の養子に迎えます。

後年

小早川家は滅亡しますが

毛利家を守る事が出来ました。

滅亡の時

小早川隆景は此の世の人ではありませんでした。

しかし

彼は自分の死後に起こる出来事を

予測していたのかもしれません。


ちなみに秀吉の思惑を隆景に教えたのが

黒田官兵衛であったようです。

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posted by よしの at 21:47| 千葉 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
小早川隆景楽しく読ませていただきました。『黒田官兵衛と小早川隆景』
⇒『智の人と賢の人』
納得です。
Posted by おーたん at 2009年03月21日 12:22
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