戦国時代という乱世
この時代は
優秀なリーダーが同時期に沢山輩出した時期でありました。
確かに
いつの世も魅力的な人材は登場するのでしょう。
ただ
戦国時代のような乱世は
魅力的な人間のエネルギーが爆発するのかもしれません。
そして
乱世を経験した国は
魅力的でバイタリティーあふれた人間が
出現するのかもしれません。
そうすると
日本の隣の中国は当に『乱世の国』のように想います。
話を日本の戦国時代に戻しますと
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と
『天下の三人』が当然有名です。
今年の大河ドラマで
主人公に取り上げられているとはいえ
直江兼続は
三人に比べると知名度は劣ります。
しかし
秀吉はこの直江兼続を高く評価しました。
一方の兼続は秀吉をどう想っていたのでしょう?
天下人に対して、当然警戒はしていたでしょう。
尊敬していたのでしょうか?
恩義に感じていたのでしょうか?
越後から会津へ移封された上杉家
そして秀吉の特命で
米沢三十万石に封じられた直江兼続。
当時
三十万石以上の大名は十人くらいだったといいます。
秀吉は本当に高く評価していたのでしょう。
それに対して、兼続は恩義に感じていたのでしょうか?
どうだったのでしょうか?
兼続は
米沢において検地を行い
税制を整備したといわれています。
また
兼続は
会津においても政務一切を仕切っていました。
上杉家は
景勝の下
兼続を中心に動いていたのでしょう。
三国志でいうならば諸葛孔明
春秋戦国時代ならば管仲
といったところでしょうか。
兼続自身は充実した日々だったかもしれません。
しかし
間もなく
京都伏見で
秀吉は此の世を去ります。
景勝も兼続も
急ぎ京都へ行き葬儀に参列します。
そして
秀吉の葬儀が終わると間もなく
二人とも会津に帰ります。
まるで次に起こる出来事を察していた
ようにも想えます。
会津若松において
一、道路や橋の普請工事
二、浪人の招集
三、武具の整備等
主に国防の強化に力を入れました。
また
若松城が狭いので
神指(こうざし)原に
新しい城の築城に取り掛かりました。
この一連の行動が
上杉家の命運を
変える事になってしまったのです。
この戦国乱世に出現した
英傑・直江兼続は
『これから起こる出来事』
観えていたのでしょうか?
それとも
演じていたのでしょうか?
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直江兼続の事少しは知っていると思っていたのですが、今回大変勉強になりました。
すごい人だったのですね。