2009年05月08日

秀吉が天下を任せてみたい漢達(第五回)




豊臣秀吉が一番脅威に想っていた人間は

やはり徳川家康だったのでしょう。


黒田如水を警戒したといわれていますが

その警戒度は

家康に対するものとは比較にならなかったと想います。

その警戒した如水や家康とは対照的に

秀吉は

実直な上杉景勝や

景勝の陪臣で才能豊かな直江兼続を信頼していた上に



好きだったのでしょう。



自分は


小早川隆景が賢の人

黒田如水を智の人

と評しました。


直江兼続は果たして

どう評価すべきだろうか?

正直悩むところです。


そして

秀吉が

身内の中で

一番信頼したのが

やはり

石田三成だったのでしょう。


秀吉は三成に天下を任せてみたいと

本当は想っていたのではないでしょうか。

ただ

『未熟だ!!』

   とも想っていたでしょう。


『石田三成』


自分の中では

三成は

何故か?

三国志の馬謖(ばしょく)と重なります。

二人は政務は一流で

才能も豊かでありました。

しかし軍事に関する面では経験が乏しかった。

それが

二人の運命を

悲劇的なものにしてしまったように感じます。


三成が戦いを挑む

徳川家康は戦の経験が豊富な武将達でした。

戦国最強を誇った

武田信玄とも戦った経験があります。

そして

秀吉とも戦いました。

そんな

徳川家康という巨象を相手にする

三成と懇意にしていたといわれるのが

直江兼続その人でした。



秀吉の死後

三成は居城の佐和山城に蟄居します。


家康は

自分の意に沿わず

会津の本拠にて

対抗する上杉家に対して

『上杉討伐』を号令します。


会津に向けて

軍勢を率いて進軍します。

やがて

家康の軍勢は

下野国小山に落ち着きます。


迎え撃つこととなった

上杉家は神指(こうざし)原に

新しい城を築城中でしたが

これを中止します。

そして

白河の革篭(かわご)原に兵を配置します。

その数五万五千という説もありますが

如何なものでしょう。

もし、その兵力が本当ならば

まさに上杉家の命運を懸けたのでしょう。

お金も使った事でしょう。


『いつでも来い!!』

この時の上杉勢は

そんな気概を持っていたことでしょう。

負ける気がしなかったかもしれません。


そんな時です。



   『石田三成挙兵』

        『徳川家康討伐』



三成の居城である近江・佐和山城にて兵を挙げます。

石田三成という

忠の人の決断

この国の命運を変えた決断でした。



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posted by よしの at 23:44| 千葉 雨| Comment(2) | TrackBack(1) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
元来、軍師物とか智将物とか大好きですので
このシリーズとても楽しみに読ませていただいています。次回作も楽しみです。
Posted by おーたん at 2009年05月09日 09:40
まさに天下分目ですな。
うむ。
Posted by さんぴん太郎 at 2009年05月09日 18:05
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