2009年06月09日

秀吉が天下を任せてみたい漢達(最終回)

『関ヶ原の戦い』という日本史上において

重要なイベントは終わりました。

この戦により

『群雄割拠の戦国時代』は

事実上、終焉を迎えたと言えるでしょう。


関ヶ原において大軍勢における大合戦が展開されている時に


奥州の地において

上杉は伊達、最上といった勢力と戦っていました。

この奥州の合戦において

勝者は誰だったのでしょうか?


『関ヶ原の戦い』のきっかけを創った

上杉は残念ながら勝者にはなれませんでした。

しかし

直江兼続の戦いは

ここからだったのかもしれません。



信州・上田

この地においても合戦が起きてました。

『真田昌幸』

『表裏比興(ひょうりひきょう)の男』といわれた

軍略の天才はどのような目的で戦に及んだのでしょうか?


  天下を狙っていたのでしょうか?


昌幸の長男・真田信之は徳川方

昌幸と次男・真田信繁(のぶしげ)は石田方

というよりも西軍に付きました。


『真田信之』

彼は徳川家康の養女であり本多忠勝の娘を妻に迎えており

徳川にはゆかりのある人物だったのです。

彼の存在を

池波正太郎氏の

『真田太平記』や『獅子』という作品において知りました。

大変高い評価であり

作品中の幸村は

『天下の器』と評していたと想います。

そして

大変我慢強い人だったという印象を持ちました。

そんな彼は九十歳過ぎまで生きる事になります。


『真田信繁』

  ⇒後に『日本一の兵』と謳われた真田幸村であります。

彼は太閤・秀吉の人質として大坂に出仕していた事もあります。

また秀吉の家臣・大谷吉継の娘を娶っておりました。

どちらかというと豊臣に近かったのでしょうか?

では

父親の昌幸はどのような考えを持っていたのでしょうか?

彼は関ヶ原の戦い以前に一度、徳川と戦っています。

徳川を嫌っていたかもしれません。

だからと言って

私怨により動き

徳川と戦う決断をしたかどうか?

信州上田の小領主である昌幸の狙いは何だったのでしょう?


先程の『真田太平記』に登場する彼は大変な野心家であり


関ヶ原の戦いが一日で終わった事を知ると

『やはり石田治部では駄目だったか』と叫んでいた記憶があります。

この『表裏比興の男』の思惑は一体何だったのでしょう。


真田家は戦後、長男の信之が後を継ぎ

昌幸と幸村は紀州九度山に流罪となります。

昌幸の息子二人は

歴史に名を残すと共に

家名を今の世に残すのであります。



そして

九州の地においても大きな動きがありました。



『黒田如水』



秀吉だけでなく

恐らく家康も警戒したであろう

稀代の智将が暴れておりました。



彼が関ヶ原の地にいたら

戦はどうなっていたのでしょう。


そんな彼は九州の地でやりたい放題だったように想います。

と言っても

彼が攻撃したのは『西軍陣営』の軍勢や城でした。


徳川家康の『東軍』として動いていたようです。

如水はどちらが勝つか読みきっていたのでしょう。



そんな彼は九州を平らげた後に

中央へ進出するつもりだったという説を聞いたことがあります。

天下を獲るつもりだったのでしょうか?



如水が暴れた九州には

もう一人

天下にとって重要な人物がいました。


『加藤清正』


『関ヶ原の戦い』に参加しなかった彼は九州に留まっていました。

彼は同僚の猛将・福島正則と違い

築城術に長けたところなど

知的なイメージも感じる勇将です。

何故、関ヶ原の地にいなかったのでしょうか。



三成を嫌っていたということでしたが

それ以上に

家康を警戒していた事でしょう。

『九州にいた』という事は

清正なりの意思表示だったのでしょう。


彼が大坂城にいたら

また違った展開になったことでしょう。



黒田如水は加藤清正と協力して西軍の城を次々と落としていきました。

如水と清正は仲が良かったのでしょうか?

お互いに秀吉を支えた二人です。

まさか清正が如水に利用されたとは想いませんが。


しかし

さすがの如水も

戦いが一日で終わるとは想っていなかったと想います。


『これでお終い。』


黒田如水の戦いが終わった瞬間だったのです。


息子の黒田長政が東軍の一員として

関ヶ原で活躍しました。


家康は

その褒美に

黒田家に五十二万石を与えました。


家康の側近が

『如水の活躍への褒美は?』

家康は

『・・・・・・・』

     だったそうです。


その沈黙

如水の心の中を見抜いていたのでしょう。


『関ヶ原の戦い』が終わり

如水の他の野心家達も

矛を収めるしかなかったのです。



直江兼続は家康の重臣・本多正信と交渉するなど

八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をし上杉家存続に成功します。

上杉家は江戸時代から幕末維新を生き抜き

今も残っています。


豊臣秀吉が最も天下を任せたくなかった漢

それでいて

本心より怖れていた漢

徳川家康が天下を握りました。



そして

秀吉が最も天下を譲りたかった

息子の豊臣秀頼に家康の孫・千姫を嫁がせたこと

それは秀吉による

『精一杯の抵抗』だったように想えます。



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posted by よしの at 23:04| 千葉 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
おはようございます。
今回も楽しく読ませていただきました。
戦国時代に注目すべき武将がよくまとまっていて、すごく勉強になりました。
有難うございます。
Posted by おーたん at 2009年06月14日 05:39
勉強になります。じっくり拝読させて頂きます!
そうですよね。加藤清正は熊本城を作ったんですよね。
虎退治、のイメージが強いですが。
Posted by 電子たばこ 送料無料 at 2009年06月24日 18:55
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