2009年07月20日

鬼武者三代目 結城秀康(第三回)

家康の凄かったところは

自分の後継者をしっかりと

しかも

的確に選んだ事だったと想います。

数多くいる候補の中で

その時代に合致した後継者を選んだと言えるでしょう。

その選択が間違ってなかった事は

二五〇年という時の流れが証明しました。


それにしても

徳川家康にとって

『信康の死』は

痛恨の出来事であったでしょう。




三国志の英雄

魏の曹操(そうそう)は

優秀な息子の曹沖(そうちゅう)が若くして他界した時

曹操の後継者候補

曹丕(そうひ)に


『私にとっては不幸であるが、お前にとっては幸運だ』

                     と言ったそうです。

ちなみに

曹丕は後に曹操の後継者となります。

そして

彼が後漢王朝より政権を簒奪し

魏王朝を開きます。


家康には

息子達に

そういう気持ちは無かったとは想いますが・・・。

自分の後継者を誰にするかは迷った事と想います。

更に

『後継者として育てないといけない』

そんな気持ちだったかもしれません。


そんな信康の死から数年後

『本能寺の変』で信長が斃れます。


大変な事件であると同時に

家康にとっては皮肉な事件だったでしょう。

『信長の為に信康を殺した』

時のイタズラを恨めしく想った事でしょう。

しかし

家康に

そんな感慨を抱く時間は許されませんでした。

信長亡き後

家康の決断一つで

徳川家の存在価値も変わってきます。

『信長の同盟者』

家康はこの時所有している

『三河、遠江、駿河』


この機に

 『甲斐、信濃』

     に進出します。


武田の遺臣を

徳川家に組み込む等

勢力を広げ

万全な基盤を整えようと動きます。


こんな時に

信康がいたら、どのような展開になっていたでしょう。

『信康がいたら・・・』

なんて想ったのは家康だけではなかったかもしれません。


大きくなっていく徳川家

その『大きくなっていく徳川』を

安心して任せる事が出来たかもしれません。

しかし

そんな事をいつまで考えていても仕方がありません。

家康は

徳川家と従う家臣団、徳川の許に暮らす領民達

彼らの事を考えなければならないのです。

先の事を考えると

やはり後継者を育てないといけません。


当然

その徳川家康の後継者として

次男の於義丸(おぎまる)が候補として挙げられます。

家康の後継者として生きていく事になるのか?

                 

そんな徳川家の内情など構わずに


『大きな敵が誕生しました』

家康はじめ徳川家の前に

その大きな敵が現れます。

皆様、御存知ですよね。


天正十二年(一五八四)

その大きな敵と激突します。

於義丸

十歳の時の出来事でありました。


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posted by よしの at 16:00| 千葉 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
勉強になります。
やはり家康は天才なのでしょうね。
Posted by ショッピング枠 現金化 at 2009年07月21日 12:17
おはようございます。
今回も大変興味深く読ませていただきました。いつも勉強になるので大変感謝しています。
後継者の養成、今も昔も難しい問題ですよね。
Posted by おーたん at 2009年07月25日 06:43
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