2008年05月12日

鬼の佐竹 義重と義宣(第四回)













最近、ロシアでは大統領が交代した。

新大統領にメドベージェフという人物が就任した。

そして、驚いた事に前大統領のプーチンが首相となったのである。

『二頭体制』『双頭体制』と新聞ニュースでは報道されている。

一体何が狙いなのだろうか。と思いきやロシアでは大統領の地位に

連続三選を禁じた憲法があるのである。

これに従い大統領を退任したプーチン氏は、

任期のない首相としていつまでも権力の中枢に、

その影響力を及ぼす事が可能となったのだ。

新大統領が『お飾り』とは言わないまでも

プーチンが実権を握るのが明らかである。

日本でも徳川家康と秀忠などの『二頭体制』が有名であった。

明治政府の板垣退助と大隈重信の『隈板内閣(わいはんないかく)』

なども『二頭体制』であったかもしれない。

そして、今回の主役である佐竹氏も

同じように『二頭体制』を行おうとした。

親子の二頭体制と他人同志の二頭体制は違うだろうが。

十八代目の佐竹義重と息子で十九代目の佐竹義宣の二人で

佐竹家を盛り立てていくのである。

ただし、実権は父の義重が握るのである。

義重が義宣に家督を譲った時期が伊達政宗が義重の次男が継いだ

蘆名義広の蘆名氏を滅ぼした直後であった。

北から伊達氏、南から北条氏と

佐竹氏としては地政学的にも大変な場所であった。

こんな時に何故、家督を譲ったのだろうかと

私なりに考えてみました。

すると気付いた事に伊達氏は政宗、北条氏は氏直が

家督を継いでいた。

二人とも若いのである。

その若い二人に対抗させる為に、

義重は敢えて息子の義宣に家督を譲り

経験を積ませようとしたのではないだろうか。

そして義重が後ろ盾となり、義宣をコントロールする

という思惑ではなかったのではないだろうか。

佐竹氏の、この二頭体制が長く続くのである。

義宣は豊臣秀吉に伊達政宗が蘆名氏を滅ぼした事を

訴えたことにより、秀吉は政宗に対し

兵を収めるように命ずるのである。

その時、秀吉の命により上杉景勝が佐竹氏を支援している。

一方、政宗は北条氏と結び南下して更に須賀川城を奪うのである。

まだ、秀吉の恐さを判っていなかったのだろう。

この動きに対抗して、

義宣は政宗方の白河氏を攻めるが敗北している。

父の義重と違い、戦はあまり得意ではなかったのかもしれない。

そして、この陣中で盟友の宇都宮国綱から、

驚くべきニュースを聞く。

そのニュースは佐竹氏の運命を変えるものでもあった。

豊臣秀吉の『小田原征伐』である。

佐竹氏には運があったのだろう。

そして、いち早く秀吉の元に親子で駆けつけるのである。

その後、一貫して秀吉に臣従した為に

常陸の国一国と下野の国の一部の所領を秀吉に安堵される。

その石高は五十四万石であった。

この時、徳川、前田、島津、毛利、上杉と並んで

『豊臣政権の六大将』と呼ばれた。

石高と実力の高い大名達と同列に並び称されたのである。

結果的に小田原の北条氏は滅亡した。

北条氏直は高野山へ追放、父の氏政と叔父の氏照は切腹となった。

関東の政局はガラッと変わった。

佐竹氏は常陸の支配権を秀吉に認められたようなものであり、

常陸国内で一気に優位な立場に立ったのである。

しかし、常陸にはまだ力を持った勢力がたくさん残っていた。

江戸氏、大掾氏(だいじょうし)、

南方三十三館と称される国人衆が残っていた。

『佐竹氏に従わないのは太閤殿下をないがしろにしているも同然』と

佐竹氏を強力に後押しした武将が石田三成であった。

それ故、佐竹親子は心置きなく常陸の統一を進めることが出来た。

この時の三成の恩義が後の義宣と佐竹氏に影響するのである。

先ずは、江戸氏を攻め水戸城から追放した。

また、大掾氏(だいじょうし)を討伐した。

そして居城の太田城に南方三十三館の国人衆を招いて、

彼らを謀殺した。

ここに事実上の常陸統一を果たした。

天正十九年(一五九一年)の事であった。

佐竹氏の念願が叶ったのである。


posted by よしの at 22:15| 千葉 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ロシアの大統領交代は、二頭体制ともいえますが、もしかしたら、プーチンの院政かもとも思ってしまいます。
それにしても、佐竹氏、幸運ですね、秀吉に早くから接近していたお陰で、常陸の統一。
三成との蜜月ということは、次は関ヶ原の話でしょうか。彼等の運命が気になります。
Posted by 桃源児 at 2008年05月13日 00:59
桃源児さん、ありがとうございます。
ロシアはこれからどのような方向に向かうのでしょうかね。日本の念願の一つである北方領土の返還は益々遠のくのでしょうかね。さて仰るとおり、話は関ヶ原へと向かって行きます。いつも、ありがとうございます。
Posted by 勝海舟 at 2008年05月13日 20:15
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