2008年05月13日

鬼の佐竹 義重と義宣(第五回)













信長の野望』というゲームには

戦国時代の武将達が何百人と出てきて、

天下獲りを目指すゲームである。

私も、新しいシリーズが出るごとに購入していた。

そして、伊達家でゲームを進めると佐竹義重の戦闘力が、

どのシリーズでも、とても高いので困る。

佐竹家は他にも猛将、智将と優秀な家臣が豊富なのである。

岡本禅哲、和田昭為、梅津政景などである。

その中でも、義重と同じく『鬼』と呼ばれた武将がいた。

その名は、真壁氏幹(まかべうじもと)という武将であった。

この武将も物凄く戦闘力が高く、強い武将である。

実際の彼は二メートル近くの『樫木棒(かしきぼう)』を武器に持ち

戦場を暴れまくったという。

その武勇から『鬼真壁』と恐れられたという。

佐竹氏の合戦のほとんどに参加し、

朝鮮出兵時の文禄の役にも従軍して武功を挙げている。

その功により四千五百石を与えられたという。

戦国時代の佐竹氏は名門のせいだろうか。

いろんな人間が落ち延びてきている。

伊達氏からは政宗の叔父にあたる国分盛重や

兄との対立により逃げてきた梶原政景などである。

彼らが結構、活躍し城を与えられたりする。

そして、佐竹一族も結構優秀であり、

一族の重鎮として重きをなすようになる佐竹義久などは

外交面で活躍する。

義久は豊臣秀吉と懇意となる。

恐らく、外交の窓口になったのだろう。

また朝鮮出兵にも出陣し活躍している。

その功績により、秀吉自ら常陸国に六万石を与えられ大名となった。

さらに関ケ原の戦いの後に徳川家康と交渉し、

佐竹氏の本領安堵を認めさせたのが

誰あろう義久だと言われている。

しかし、その直後に急死している。

一説には暗殺されたという説もある。

発言力が大きくなる事に警戒したのかもしれない。

このように御家が栄える為には優秀な家臣がいたのである。

それは、どんな家でも同じだろう。

さて常陸統一を成し遂げた佐竹氏であるが、

豊臣家の臣下として活躍していくのである。

常陸統一と同じ時期に義重は

佐竹家の実権を息子の義宣に譲るのである。

その後は大田城でのんびりと隠居生活を送るのである。

佐竹家は十九代目の義宣の元、朝鮮出兵などにも出兵し

豊臣政権下の忠実な武将として武功を挙げていく。

恐らく、この時に石田三成や

謙信以来の親交がある上杉景勝や直江兼続とも

更に仲良くなったのではないかと想う。

そんな時、佐竹家を盛り上げてくれた太閤豊臣秀吉が此の世を去る。

義重、義宣親子はどのような想いでいただろうか。

義宣は『律儀で義理堅い武将』と評判だっただけに

感極まる想いだったかもしれない。

そして、秀吉の後を追うように

前田利家が此の世を去ると政局が動き出す。

加藤清正や福島正則を中心した武闘派

石田三成を襲撃するのである。

この時に三成を救出したのが佐竹義宣であった。

そして、あろう事か三成と敵対していた徳川家康に救いを求める。

この行動は、三成の判断だろうか。義宣の判断だったのだろうか。

定かではない。

家康の元に三成を届けた義宣は

『例え敵対しているとはいえ私的な理由で討伐してはならない』

と家康に主張する。

この主張に家康は彼の行った三成の救出理由の正当性に感心しつつも

三成と敵対する自分に三成の身柄を預けるという、

その老獪さに驚いた事だろう。

そして、『佐竹は三成派』という疑いも

家康の心の片隅に残る事となった。

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posted by よしの at 21:35| 千葉 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | 戦国時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
信長の野望、筆者もよくやりましたね。
三成が家康の所に逃げ込んだという話、有名ですが、佐竹義宣が関係していたということは、そんなには知られていない気がします。
筆者も最近、徳川四天王という小説で、それを知った次第です。
Posted by 桃源児 at 2008年05月13日 23:26
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