2008年05月16日

陰の英雄 明石元二郎(第二回)




明治三十七年(一九〇四)に日露戦争が勃発する。

偶然にも、今は亡き私の祖母の生まれた年でもある。

そのせいか、この『明治三十七年に日露戦争』があったという

事を自然と覚えてしまった。

幼い頃、私が泣くと『男は首を切られても泣くな』

と言っていたのを覚えている。

明治から平成の激動を生きた人の言う事はやはり違うものであった。

この頃の明石元二郎は四十歳を過ぎているにも関わらず、

ロシア語をマスターした。

そして、この国の実情と歴史も充分に把握していた。

明石はロシア社会が抱える民衆の状況や

ロシアの属国にされている国々の深刻な反露感情を

しっかりと把握していた。

それ故に『国内外の不平不満分子を煽動、

統合する事が出来ればロシアは内部から

自滅し崩壊するだろう。』と確信していた。

そして、明石は日本本国に

革命煽動、軍事諜報、破壊活動の資金を要求する。

これに対し、山県有朋や児玉源太郎は百万円の資金を用意した。

今日の貨幣価値では、四百億円くらいになるようだ。

当時の国家予算は七億円ほどであった。

そのうちの百万円であった。

これほど莫大な機密費の提供を受けた工作員はいないだろう。

明石は、この百万円のうち約七十三万円を

わずか一年余で消費してしまった。

この資金でロシア革命の支援工作の為に動く。

いかに革命運動に金が掛かったかが判る。

彼の帰国後の報告によれば、

この資金の使途はロシア国内に送り込んだ

武器弾薬、輸送船船舶のチャーター料やテロ活動に使われたという。

七十三万円使ったが、残りの二十七万円が

使いきれずに残ってしまった。

こういう資金は機密に関するものであり、返済の必要は無いのだが

明石はしっかりと明細書を付けて

参謀次長の長岡外史(ながおかがいし)に全額返済した。

そのうち百ルーブル不足していたが、

明石が列車のトイレ落としてしまった分だった。

この資金提供は当時の陸軍首脳の英断といえるかもしれない。

いかに情報操作や謀略を重視していたかが良く判る。

明治の軍人は戦を知っていたといえるだろう。

そして、話を明石の活動に戻すが、

ロシア革命の支援工作を行っていく中で

重要な人物に出会うこととなる。

ロシア革命前期の指導者チャイコフスキーや

エスエル(社会革命党)を率いるエヴノ・アゼフ、

フィンランド革命党を率いるコンニ・シリヤクスなどと

親交を深める。

その中でも肝胆相照らす仲となったのがレーニンであった。


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posted by よしの at 23:07| 千葉 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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